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ご無沙汰です。
仕事や私用でわたわたしてます。なかなか落書きできない…ぐぬう
掘り出し物として、暇があったときに書いていた小話を投下しておこうかと…
めずらしく昼リクオが登場してます。気分転換です。
不在にもかかわらず覗いてくださる方、ありがとうございます…!
ざぁざぁと辺りを濡らす雨音に顔をしかめる男が一人。
「ついてないな…」
駅のすぐ近くにある喫茶店に駆け込んだはいいが、突然の夕立ちは自分の着ているシャツを見事にびっしょり濡らしてくれていた。
更には、何処からかゴロゴロと鼓膜を震わす低い振動音まで聞こえてくる有様。
「…まだ止みそうにないか」
仕方ない。そう諦めて、雨と湿気を含んだネクタイをリクオは緩めた。
本当についていない。今朝は定期を忘れたし、仕事では珍しくミスをして、その後の昼休みには同僚から残業を頼まれる始末。
結果、昼食を抜いたリクオを気の毒に思った上司が、夕刻の定時で上がらせてくれたのが唯一の救いだった。しかし、トドメと言わんばかりのこのどしゃ降り。
そして勿論、こんな日は傘なんて持ってきている筈がない。
目の前の歩道をぼんやりと眺め、リクオはひとつ、溜息を漏らした。
少しして、自分がやって来た方向からパシャパシャと水音が聞こえてくる。
誰かが走ってやって来るのだろう、そう思いリクオは何気なく目を向ける。
視界の中に、オフィススーツを纏った影と長い黒髪が揺れている様子が写った。どうやら女性らしい。
彼女も傘を忘れたのか、頭の上に鞄を掲げてこちらに向かって走って来る。
「ふわぁっ…!」
一気に喫茶店の屋根下へ駆け込むと、安堵の一息をついた女性はこちらに気付き、鞄を下ろしながら少し恥ずかしそうに微笑んで会釈をしてきた。
「あ、どうも…」と、リクオも慌てて頭を下げる。
少しの間があった後、隣の女性は鞄を胸に抱えて中身を探り出した。
出てきたのは桜色のハンカチだったが、それは彼女ではなくリクオの前に差し出される。
「あの、よかったらどうぞ」
思いがけない一言にリクオは目を見張った。
びしょびしょです。そう一言付け足して、まだ幼さが残る瞳を不安気に揺らす彼女。心配されているのだろうか。
「いいや、そんな…僕より君の方がびしょ濡れです」
驚いて返事を返すと、彼女もはっとして自分の身体を見下ろした。
あ、と一瞬だけ声を上げ、途端に白い頬が真っ赤に染まる。
「わ、私は大丈夫ですよっ!」
自分のことを置いていたらしい。
あわあわと混乱し始める女性に、すっかりその場の空気を持っていかれてしまったリクオは、思わず笑みを漏らした。
「お互いびしょ濡れですね」
「あ…うぅ、す、すみません」
今度はしょげるのか。
見た目だけでなく中身にもあどけなさを感じるなぁ…と、気付けば先程の憂鬱さを忘れ、目の前の女性に少しずつ興味が湧いていく。
「あの…もしよかったら、止むまでお茶でもどうですか?」
「え?私と…ですか?」
「ええ。もちろん」
他に誰がいるというのか。
歩道に目を向けて、自分達の目の前を傘をさして歩く人々に視線を送ると、彼女もつられてリクオの視線を辿り、琥珀色の目を丸くする。
ようやく合点がいった彼女はリクオに向き直り、「はい、では、よろしくお願いします…!」と、頭を勢い良く下げた。
「奴良です。気楽にしてください、僕まで緊張しますよ」
きっと真面目な女性でもあるのだろう。
眉を下げて苦笑しつつ、己の名前を伝えたリクオは彼女の畏まった態度をやんわりと制した。
「ごめんなさい、仕事帰りだからかつい…。及川と申します」
正直、いきなり誘いを持ち出したリクオ自身も悪かったかなと考えたが、なによりずぶ濡れになった女性を一人にしてはおけなかった。
「及川さん。じゃあ行こうか、風邪を引いたら大変だし」
「は、はいっ」
まだ止まない雨音を聞き過ごしながら、奇遇に出会った二人は足を入口の扉へと向けた。
*
からん、と渇いたベルの音が響き、ドアを引いてびしょ濡れで中に入る二人の耳に、いらっしゃいませと、男性の落ち着いた声が届く。
そうして、雨だから暇かもな、と高を括っていたタブリエ姿のウェイターは、目の前の客に目を見張ることになる。
「……お客様、大丈夫ですか」
「あぁすみません、この有様で。申し訳ないのですがタオルを二枚、貸していただけませんか…?」
苦笑いを浮かべて、濡れたシャツをつまみながら答えたリクオに、長身で銀髪の秀麗な顔立ちをしたウェイターは、構いませんよ、と気さくにタオルを用意し、二人に渡してくれた。
じとりとした服の水分を払い、ようやく落ち着いたところで案内された席に着いた二人は、冷えた身体を温めるためにホットコーヒーをオーダーする。
辺りに珈琲豆の香ばしい香りが漂い、まだ少し濡れている髪をタオルで押さえていた彼女は、ほぅ…と安堵の息を漏らした。
「カフェの香りって、何だか落ち着きますよね」
「そうだね。…僕は久しぶりに来たなぁ。最近は仕事が忙しくて、息抜きをしていなかったから」
「まぁ、それはお疲れ様です。でも、あまり無理なさらないでくださいね。健康が第一ですもの」
「ええ、仰る通りだ」
向かい側の茶髪の青年は、つららの気遣いに眉を下げ、笑みを浮かべる。
きっと仕事に熱心な人なのであろう。そう感じたつららも、彼の素朴な雰囲気につられて笑みをこぼした。
外から微かに聞こえてくる雨音に耳を傾けながら、二人で他愛のない会話を重ねていると、しばらくして先程のウェイターがコーヒーを運んで来た。
「ご注文のホットコーヒーです。熱いので、お気をつけて」
目の前にゆっくり置かれたカップを眺め、それからつららはウェイターに顔を向けて、ありがとうございます、とお礼を述べた。
続いてリクオも軽く頭を下げると、どうぞごゆっくり、とウェイターの柔らかな笑みが返ってくる。
きっと女性からモテる人なんだろうな、と場違いなことを考えながらその背中を見送っていたリクオだが、向かい側の「奴良さん、お砂糖はいりますか?」という問い掛けに、はっと我に帰った。
どうやら彼女は、その手の方にはあまり興味がないらしい。
「あ、僕はこのままでいいよ」
「わかりました。じゃあ、私は…」
そうして、目の前の彼女は砂糖を一つ、そっとカップの中に沈めた。
スプーンでゆっくりと溶かすのを見届けると、お互いに一口運ぶ。
ふわりとほろ苦い薫りが身体の中に広がり、久しぶりの感覚にリクオは顔を綻ばせた。
「美味しい…」
「本当ですねぇ…。温まります」
誰かと一緒にコーヒーを飲むなんて、本当にどれ程久しぶりだろうか。
もう一度カップを口に運びながら、ふと正面にいる彼女をちらり、と盗み見る。
白い肌に、肩から零れる綺麗な黒髪。そして伏せられた琥珀色の瞳からは、出会ったときに感じた幼さとは違い、彼女自身の優しさと美しさが滲み出ているような気がした。
容姿のことを考えると、完璧に美人の枠に入るであろう。
そんな彼女を、雨宿りと言ってもいきなりお茶に誘ったリクオは、徐々に自分がした事を振り返って、情けなくもなんとも居た堪れない気持ちになってくるのであった。
やはり今日は善からぬ日なのかもしれない。
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